ぼちぼち生きる

50過ぎて現場を離れたATの日記

仲間・同志

先日、長崎ヴェルカのアスレティックトレーナーで、同じBOC-ATC取得者で、同じ年で、同じ時期に JATO(日本アスレティックトレーナーズ機構)の理事をやっていた高橋さんが、車で4時間かけて鹿児島まで遊びに来てくれた。一泊二日と短かったので、大した観光はできなかったが、霧島神宮坂本龍馬とお龍さんがハネムーンに来た塩浸温泉などを訪れた。

 

彼は日本で初めて高校にフルタイムで雇われたATC

私は日本で初めて大学にフルタイムで雇われたATC

今は2人ともそこを離れ新しい環境で生きている。

頻繁に会うわけでも喋るわけでもないが、アメリカ留学から同じような環境を生き抜いてきた仲間・同志として一生繋がって行くんだろうな。

 

 

f:id:aztibi_a:20210808091829j:plain

霧島神宮

 

Prehabilitation/prevention is the best way.

アスレティックトレーナーの仕事の一つとして、Injuri/Illness prevention and welness protection : 傷害・疾病の予防と健康の保護というものがある。

 

Cambridge Dictionary(ケンブリッジ辞典)によると、Prehabilitaiton(プレハビリテーション)とは、Prehabilitation is a concept employed by sports physiotherapists around the world with one simple goal : To prevent injuries.(プレハビリテーションとは世界中のスポーツ理学療法士が採用している概念であり、目的はシンプルで、怪我の予防である。)とある。

 

阿部(平石)さゆりちゃん著書の「米国アスレティックレーニング教育の今」に書かれている文章にもprehabilitation/preventionの重要性をすごく的確に表現しているので、抜粋して書いてみた。

『たいていの人たちが医療機関にかかる時には、すでに足首を捻ったとか、熱があるというような症状がある時がほとんど。医師、看護師、理学療法士などの医療従事者が介入できるのは、「健康な人」が「患者」に変わった後に始まる。しかし我々アスレティックトレーナーは幸運な事に「選手」が「患者でない健康な選手」の時に、選手一人ひとりの事を、かなり深く知る機会に恵まれている。選手の既往歴、アレルギーの有無のような医療情報や、普段どのくらい笑うとか喋るとか、どんな風に走って跳んで、プレーするかを毎日見る事ができる。だからこそ「選手」が「患者」にならず、「選手」であり続けるための「予防」という仕事が担える。「日常」を知っているからこそ、選手自身すら見落としてしまっているかもしれない微かな「異常」に気がつける。そしてそれが怪我や疾患に形を変える前に介入することを可能にさせる。』<第9章スポーツ障害予防について考える(P102)。少し文章に手を加えさせて頂きました>

 

 病気で現場を離れ、毎日選手と会うことは難しくなっが、やはりここ霧島市で、スポーツ愛好者からトップアスリートまで、日常生活や大好きなスポーツを痛みなく楽しく行えるようにスポーツ障害の予防の知識と技術(運動を教えること)をやりたい。

 

パーソナル(オンラインでもオフラインでも)で運動指導を行っています。怪我で悩んでるアスリートから日常的にスポーツを楽しむ方々まで対応できます。興味ある方は、shinaz940856@yahoo.co.jp 東伸介(ひがし・しんすけ)まで連絡ください。

BOC-ATCって何?誰?

全米公認アスレティックトレーナー 【BOC-ATC】とは?

一言で書くのは大変なので、ぼちぼち書いていきます。

時折ブログを覗いてみて下さい。

 

 私の時代(約25年前)は、アメリカの大学をアスレティックレーニング学専攻で卒業(前)後、全国統一の試験をパスすると全米公認アスレティックトレーナー(BOC-ATC)の資格を得られました。合格率は50%も無かったんじゃないかな?

今では大学院を卒業しないと取れません。

 

ATプログラムでの週日は、だいたい午前中に授業を取り、13時から18時くらいまで実習って感じで、週末は遠征に帯同する日々でした。僕らの時代は3・4年生になるとマイナースポーツ(アメリカンフットボールとバスケットボール以外のスポーツ)の遠征は基本的に学生が1人で行くのが常でした。もちろんまだBOC-ATCを持っていない学生です。結構ビビりながら遠征(サッカーと野球)へ行っていたのを今だに覚えています。

 

 

自分ではアスレティックトレーナーの事を「スポーツ現場におけるGeneralsitのSpecialist」と呼んでいます。スポーツに関する知識や技術を広範囲に身につけ(generalist)、スポーツ現場の安全やスポーツ選手の健康管理には絶対に欠かせない特別な職業(specialist)だと思っています。スポーツ現場に我らアスレティックトレーナーがいるこそ、この怪我や患者の状態は私達で対応できるのか?これはより高度な医療機関で診てもらう事が必要なのか?を現場ですぐに判断できます。特に、熱中症、頚椎損傷、心肺停止などに関しては、現場にアスレティックトレーナーがいるかいないかで患者の予後が確実に変わってきます。

 

 

そんなアスレティックトレーナーの私ですが、今は現場を離れてパーソナルトレーニングをメインに活動しています。

子供時代に運動につまづいて運動やスポーツから遠ざかった方、でも大人になった今、健康の為に、余暇を楽しく過ごすために運動やスポーツを始めたいが、どうしていいかわからない!?、何から初めて良いかわからない!?、そんな方々はshinaz940856@yahoo.co.jpやコメント欄にて連絡を下さい。

 

CPAP=ゾウムシ?

睡眠時無呼吸/低呼吸症候群(Sleep Apnea /Hypopnea Syndrome)とは、睡眠中に無呼吸や低呼吸を繰り返してしまう病気です。

自宅でスクリーニング検査を二晩続けて行った結果、軽度と診断されました。

精神障害の為の安眠剤「デエビゴ錠」、「ロゼレム錠」、「ブロチゾラムOD錠」を飲んでいるのですが、夜中に何度も目を覚ますので、ゆっくり眠れるように持続式陽圧呼吸療法(Continuous Positive Airway Pressure)を1ヶ月ほどお試しでやる事になりました。

毎晩こんな感じで寝てます。最初の4、5日は頭のストラップで締め付けられているせいか、結構睡眠が浅く変な夢ばっかり見てました。

最近はほとんど夢は見なくなりましたが、器具を着けても着けなくても、ゆっくり眠っているような気がします。😁

 

うちの嫁曰く「ゾウムシ」。似てる?

"Go Weevils" UAM 

 

 

写真:CPAP

 

f:id:aztibi_a:20210728221641j:plain

 

 

写真:Weevils

 

f:id:aztibi_a:20210729124126j:plain

 

オリンピック東京2020+1開幕にて

オリンピック開幕にて色々思う。

選手、観客、おもてなしする人たち、役員、運営、審判、アスレティックトレーナー、反対派みんな色々な思いがあるはず。

 

昔から思いを口にすることが苦手だ。

全ての事象に陰と陽があり、相反するものが常に同時に存在するため、いろんな思いが頭の中で湧き上がり中々まとめられない。だから中々一貫した思いが口にできない。

 

だけど2年前に立命館大学を辞めた時にアスレティックトレーナーとしての"My Mission "を決めてみた。自分のこれからのAT人生に対する思い=使命だ。それは「子供から大人まで、スポーツ愛好者からトップアスリートまで、日常生活や大好きなスポーツを痛みなく楽しく行えるようにサポートをする」こと。

その時に"My Dream" ってのも考えてみた。できるかわからないが、アスレティックトレーナーとしての最大の思い=夢だ。それは「この日本にアメリカのようなスポーツシーズン制が根付くようにする」。政治権力にもスポーツ省にも全く繋がりがなく、スポーツビジネスの知識もない俺が、死ぬまでに"My Dream"にどこまで近づけるかな?!

 

乞うご期待!!!

 

 

精神疾患とストレッチポール

鹿児島の有名な精神科医の神田橋医師の著書によると、精神疾患の患者さんたちの背骨が歪んでいることが多いらしい。

私も精神障害を患っている。ストレッチポールに乗って色々と動いているうちに背骨が音を立てて矯正されるんです。その瞬間の心地よいこと。もちろん脊柱が整った気持ち良さもあるんですが、「この感覚は自分が元気だった時の感覚だ」って感じられて脳が気持ち良くなるんです。

この感覚を大切にして、しっかり覚えて、増やしていくのが精神病の養生の方法だそうです。

 

参考

神田橋 條治 「心身養生のコツ」 

ストレッチポール公式サイト|効果的な使い方 / 背骨

 

 

人の出会い・運命

前回のブログにも書いたが、昨年の12月から自宅から車で1時間ほどかかるH病院(仮名😁)に奥さんに車を運転してもらって通っている。(急に襲ってくる不安で1人で運転できなかったのですが、先日初めて運転して病院まで行きました)

 

2019年に鹿児島に帰って来てすぐで仕事が全くない(今もほとんどない)頃、大先輩ATCの Y氏のセミナー会場で作業療法士のMさんを紹介された。

 

10年ほど前から鬱のような症状があった。2018年頃はかなりきつく、嫁さんの「仕事辞めていいよ。私が食わしたる。」の一言で吹っ切れて、将来の見通しも全く立てないまま辞めて、故郷鹿児島に帰ってきた。

仕事を辞めてもそれほど鬱の症状は治らず、パニックになったり、不安症になったり、睡眠障害が出たり、食欲がなくなったり、いよいよ精神病院に真剣に通い始めた。

しばらくしてもあまり改善しなかったので、Mさんに相談、Mさんが働くH病院を紹介される。

病院に行く数日前に実家に立ち寄り病院の話をすると、親父がその病院は西駅(年取った鹿児島県人ならすぐわかる)のすぐ近くかと聞いてきた。グーグルマップで調べてみると歩いて駅まで行ける距離だった。その地図を見て親父が一言、「そこはお前が生まれた病院があったあたりだと思うぞ」。

診察の時に先生にその話をしたら、その通りでした。僕がこの世に生まれるのを手伝ってくれた医師は、今ここで僕の精神病をみてくれている医師のお父さんでした。それを知った瞬間、俺が病気になってここに来るのは、生まれる前から決められていたのかも。ここから俺の人生の第2章が始まります。どんな人生になるかなぁ。

 

人生って、いろんなところで不思議な出会いがありますね。